中国で見たカトリック教会                  
 
 八月の丸一カ月を中国の長春で過ごしました。国費留学生として来日する予定の中国人留学生を対象に、日本語で専門の講義を聴いたり、討論ができるようにする、という主旨で、毎年日本政府が教師団を派遣するのですが、今年はその当番に当ったという次第です。
 長春は、北京から北東約五百kmのところにあり、戦前は「新京」と呼ばれた町です。日本が満州国の首都として草原の中に新しく作った都市だということで、ここに当時は関東軍司令部があり、満鉄(満州鉄道)や満電(満州電力)などに勤めていた多くの日本人が住んでいました。現在でも、50年前の当時の建物がいくつも残っています。滞在を始めて、何か、自分の子供の頃の日本に戻ったのではないかというような錯覚を持ちました。埃っぽい道路に、たくさんの車と共に、リヤカーを自転車で押す人(長春辺りでは引くのではなくて押します)、馬車、ロバなどが車道を行き来し、それに自転車の群が加わります。交通規則はあってなきがごとしで、車道を横断するのが最初はこわくて億劫でした。
 中国は、最近とみに経済力を増しています。自由主義経済への移行を余りにも急ぎすぎたロシアをはじめとする東欧に較べて、中国は独自の路線で着実に徐々に自由化を推し進めているようです。女性の服装は二年前に北京を訪問したときに既にずいぶんと華やかになっていましたが、今では老人を除いて、いわゆる人民服を見かけることはまれです。もともと中国は中小企業で成り立っていて、すべての企業が完全に国有化されていた訳ではなく、自由主義への移行と言っても、元に戻っただけだ、ともいわれます。ロシアでは自由化後、私企業が競争力不足から、流入してくる外国資本に太刀打ちできなくてどんどんつぶれていくのに対して、中国では日常生活用品をはじめとして相当な生産力を保持しているように思われました。とはいえ、解決しなければならない問題が山積していることも事実です。例えば、経済力の向上に伴って、多くの人が旅行をするようになっているため、飛行機も汽車もいつでもどこでも満員で、切符を手に入れるのが困難です。汽車は、コンピュータの導入が遅れているために、ダイヤの密度を上げるのが困難だそうです。相当大きな幹線でも最近やっと複線になったところもあると聞きました。要するにインフラストラクチャーが発展に追いつかないという事情があります。他方、自由化に伴う税制の改正も進んでいないため、儲ける人はどんどん儲け、乗り遅れると置いてきぼりにされます。公務員は生活が大変です。タクシーの運転手が大学教授の給料の数倍は稼ぐと言うことです。こうして貧富の差が拡大すると、法律すれすれで悪いことをする人達が増え、犯罪発生率も増加しています。
 現在、ロシアではロシア正教が著しく信徒数を増やしています。共産主義の下で、あれほど迫害されたにもかかわらず現在まで生き延びた、というのは驚きでしたが、モスクワ郊外のザゴルスクという町には大きな修道院があって、内部はよく保存されており、神学校もあって聖職者を養成しているというのにも大変驚いた記憶があります。戦時中、スターリンは国民の団結を実現するためにロシア正教を利用したという話も聞きました。今、共産主義という心の拠り所を失った多くの人達が再びロシア正教に立ち返っているのはある意味で当然かもしれません。では、中国はどうなのでしょうか。
 帰国も迫ったある日、私は中国人の助教さんに頼んでタクシーを走らせ、天主教会を尋ねてみました。長春に何年もすんでいるその助教さんは教会があることすら知らなかったということですが、教会に多くの人が集まっていることに更に驚いた様子でした。教会は丁度ミサが終わって人々が聖堂から出てくるところでした。1930年にフランス人の神父によって建てられたという古いけれどもりっぱな教会でした。幸いなことに中国ではロシアと違って教会の建物が破壊されることはなかったようです。文化大革命のときに紅衛兵達が教会の聖堂を破壊しようとしたのを、当時の周恩来首相が制止したのだと聞きました。助教さんの通訳のお陰で、主任司祭が司祭館に招き入れて下さり、短い時間でしたがお話を伺うことができました。神父は、自分が朝鮮族の出身であること(中国東北地方では10%以上が朝鮮族の人達だと言うことです)、現在長春市内に約5千人の信徒がいること(長春の人口は約200万人)、吉林市には神学校があって現在50人ほどの神学生がいること、最近東京から大司教(白柳司教様であろうか)が来られたことなどを話して下さいました。中国の健全な発展のためにも福音が広く伝えられなければならない、そんな思いを胸に教会を後にしました。
 ほんの一カ月でしたが、“近くて遠い”中国を若干垣間見ることができ、いろいろ考えさせられることの多い滞在でした。